the gambler

1970年代作品をリメイクした映画ギャンブラーの批評・あらすじ・ネタバレです。カジノの依存症の男からアメリカを分析します。

黄金の世紀と言われた20世紀の繁栄を享受して世界の超大国となったアメリカが、ベトナム戦争を契機に傾き始めた結果、一人一人の心の中に鬱屈したものが溜まるようになり、ホワイトトラッシュたちが増える超格差社会で、裕福な家庭に育ったものの、現実の厳しさと自分の甘さのギャップの溝に落ちてしまったまま中年になった、男の話。理想だけは高いのに何もかも中途半端でその鬱屈をギャンブルに向けて依存状態になってしまうという、裕福なアメリカが落ちいってしまった病理をそのまま描き出した作品。親世代の繁栄と成功をまったく再現できなくなり、格差社会に苦しむ若者たちがそのまま大人になって依存症に陥っていく現象は、身近でありながらその醜悪さにだれもが目を背けるが、この映画でその醜悪さを匂いが感じられるほどに突きつけられる。主人公のジムが破滅的なギャンブルを続けながら他人を巻き込む姿に嫌悪感を覚えるのはそのためだ。

ザ・ギャンブラー 熱い賭け 予告編

この作品で主人公は生徒と恋に落ちて真摯にギャンブルに向き合うことで大勝利を収めるハッピーエンドになっていることだけが、唯一の救いだ。しかし実際の依存症患者の治療は長期間にわたる地味なカウンセリングの繰り返しで、映画のように恋人が救いとなる例も多いが逆に恋人共々共倒れになるケースが多い。

ザ・ギャンブラー 熱い賭け 予告編

この作品は1970年代に公開されたリメイクであり、40年以上経った下の世代にまでアメリカの病が深くはびこっていることがわかる。監督はイギリス出身で「猿の惑星:創星記」の監督に抜擢されたルパート・ワイアット。独自の感性で依存症に苦しむ先進国の恵まれた人を襲う病の醜悪さを正面から捉えた社会的な作品と言える(表面的にはただのギャンブル中毒者のクズの話にしか見えない)。もともと1974年の作品が脚本家ジェームズ・トバックの半自叙伝だけにギャンブル依存症に陥った者の苦しみや救いのなさについては非常にリアルに描かれている。1974年作品のラストが娼婦と喧嘩になった上に鏡で傷から流れる血を見るシーンという救いがたいラストであるのに対して、現代の作品が大勝利をおさめるというのは、一見よい変化に見えるが、映画が常に世の中の「暗い」部分を映し出すことを考えると、過去の作品が概ね繁栄と幸福に浸りつつベトナム戦争で受けた暗闇を繁栄させた者に対して、現代の作品はもはや救いようがないために、大勝利して借金を返すという「現実逃避的なおとぎ話」を盛り込んだ時点で、これを見る観客が、彼らのクラス現実がもはやいかなる努力をしても無駄であるという諦観をもっていることを逆に繁栄させている。この作品はギャンブラーの話ではなく、社会の世相を反映した作品である。故にカジノの話も、ゲームプレイの話も掘り下げられていないのである。ちなみにこの話は今後舞台が変わる。ネットカジノとして引きこもりを中心に描かれるであろう。オンラインカジノについてはManekinekocasinoを参照のこと。